FC2ブログ

静岡県道288号大嵐佐久間線 踏破記録 その4

日程:2002年7月27日
行程:JR飯田線中部天竜駅―佐久間ダム―静岡県道288号―夏焼トンネル―大嵐駅=富山村―大嵐駅=小和田駅(泊)
記事:その1 その2 その3 その4


その3からの続き≫
 しかし、行程はここで終わりではない。大嵐駅に辿り着くまでには、まだ長さ1kmの夏焼トンネルを通らねばならない。しばらく休んだ後、トンネルの中に足を踏み出す。この夏焼トンネルは、かつては飯田線が走っていた鉄道用のトンネルであり、佐久間ダム完成に伴う飯田線付け替えの後は一般の車道として供用されているものだ。道幅は狭く、ようやく車が一台通れるくらいか。また、とにかく距離が長く、「トンネルの入口も出口も見えない暗闇」の中をしばらく歩かなければならない。ただ、間隔は広いながらもちゃんと白電灯が設置されていて、「完全な暗闇」というわけではない。ひんやりと涼しいトンネルの中を15分くらい歩き、続いて現れた小トンネルを抜けて、ついに大嵐駅着。時刻はちょうど16:00だった。幾度かの休憩や道草を含めて、丸々8時間行動していたことになる。

288-24.jpg
夏焼トンネル(夏焼集落側)。

 大嵐まで来たので、せっかくだから「日本一のミニ村」富山村を訪ねることにする。駅のそばに停まっていた村営バス(といっても普通のワゴンだ)に乗り込み、5分ほど走って、村で唯一の喫茶「栃の木」の前で降ろしてもらう。土曜日なので開店しているかどうか不安だったが、マスターの穏やかなお兄さんは我々を温かく迎えてくれた。ハヤシライスと、それぞれ飲み物を注文。マスターは「今日はもう御飯がない」とか色々うろたえていらっしゃったが、無事にハヤシライスを持ってきてくれた。

 温かいハヤシライスを頬張りながら、マスター氏の話に耳を傾ける。茨城出身で、就職活動をしていた頃、縁あってこの村で喫茶店の経営を行うようになったこと。経営は最初は1年だけのつもりだったが、いつのまにか在村5~6年になってしまったこと、など…。この温かくて穏やかな雰囲気の村にいれば、滞在が長くなるのもうなずける話だ。マスターの作った冷たいコーヒーは、疲れを癒すかのように体にしみわたり、絶品のハヤシライスは、深い満足とともに我々の胃袋を満たした。

 食事を終え、「栃の木」を出る。去り際に、今日自分たちが中部天竜駅から静岡県道288号を歩いてきたことを伝えると、マスターとたまたま店の前に居合わせた村の兄さんは大層驚いて下さった。なんでも、あの道は「20年前ぐらいまでは普通に通行できて、そのころ車で通った人の話を聞くと、佐久間までは1号線を使うより5分ぐらい早く着けた」のだとか。やがてまた村営バスが来て、マスター達に別れを告げる。(注:なお、マスターはその後、草津のホテルに就職し、現在は別の方が「栃の木」の経営をされているそうである。)

 今度は村営の温泉前で下車。温泉の窓口で入浴料を払い、気持ちよく汗を流す。温泉を出て、外でジュースを飲みながらしばらくぼーっとしていると、突如大量の子供たちが現れる。どうやら山村留学の子供らしい。これだけ自然にも恵まれ、人情も厚い土地だ。滞在するにはうってつけだろう。

 温泉を後にし、大嵐駅に戻る。もう村営バスの運行は終了してしまっていたため、駅まで徒歩30分の道を黙々と歩く。せっかく温泉に入ったのに、また汗だくになってしまうが、まあ仕方の無いことだ。途中、千歳屋さんという村のよろず屋に入る。子供の頃に通った駄菓子屋のような、どこか懐かしい造りの店の中で、いくつかの飲み物を選び、レジで店のおばあさんにお金を払う。おばあさんは今年88歳なのだそうだが、とてもお元気そうだ。村がダム湖に水没する前の話など伺う。ペットボトルや缶飲料を2、3本飲み干しながら話を伺い(とにかく暑かったのだ)、今晩消費する飲み物と食料も買い込み、店の売り上げに貢献して、我々はおばあさんの元を辞した。

 再び歩き始め、夕闇迫るころ大嵐駅に到着。今晩の宿は、秘境駅として名高い隣駅、小和田駅に決めている。昭和11年建築と言われる木造駅舎がいい味を出している小和田駅だが、この平成14年当時、老朽化を理由に、JR東海は年度内の駅舎取り壊しを計画しているとの噂が流れていた。このため、「駅舎がなくなる前に、一度小和田で駅寝をしてみよう」というわけで、今夜の宿を小和田駅に取ることになったのだ(注:秘境駅ブームのお陰か、小和田駅舎は結局現存している)。大嵐駅で荷物のパッキングをし直したりしていると、暗闇の中から20:50発天竜峡行き列車が到着。一駅乗って、小和田駅に降り立った。

 ところが、今夜の小和田の宿泊客は我々だけではなかった。我々と一緒に降り立ったのは、謎の初老の男性二人。あちらも我々の存在に驚いている。二人がホーム上で「待合室がなくなってるよ」「ここで寝ようと思ってたのに」などと話している隙に、我々はさっさと駅舎内の長椅子上にベッドメーキングを行う(注:かつて小和田駅のホームには待合小屋があったが、この当時より7~8年くらい前に撤去されたとのこと)。それにしても、駅舎の一方に戸が無いこともあって、あたりは恐るべき虫の数である。やはり夏の駅寝の宿命、今夜はとてもじゃないが気持ちよく眠れそうにないな、と覚悟を決める。

 一人はホーム上で、そしてもう一人は電話機が載っている棚の上で(よく乗れたもんだ)眠りについた男性二人を横目に、我々も長椅子の特等ベッドで就寝。今夜は、駅の電灯は終夜点灯のようだ。過去にここで駅寝した人々の記録を見ると、電気はPM11:30ごろに消える日もあれば朝まで消えない日もあるようだが、どういう基準になっているのだろうか。慣れない寝床で幾度か目を覚ましながら、朝までしばしのまどろみを楽しむ。

 朝5時過ぎ、目が覚める。窓の外を見ると、少し霧が出て幻想的な雰囲気だ。大嵐方面のトンネルに目をやると、初老の男性二人はもう行動を開始し、門谷・大津峠方面への道を登り始めている。それにしても、彼らは一体何者なのだろうか。少しだけ話をしたKさんによると、彼らは「ハイキングに来たわけじゃないよ」と言いつつも、多くを語ってはくれなかったそうだ。きのこ取りのシーズンでもないし…。ちなみに、このあたりを探検した人の記録によると、門谷・大津峠への道は度重なる土砂崩れ等で寸断されて完全に通行不能となり、そもそも道が行き着く先の門谷集落も廃集落となっているらしい。彼らの目的は何なのか、謎は深まるばかりだ。
(なお、後日、彼らが向かった道を歩いてみました。その時の記録はこちら。)

 この日は、午前中はKさんと別行動を取り、私は田本駅のホームで天竜川の流れを眺めながら朝食。Kさんは小和田で高瀬橋までを往復してきたそうだ。午後は伊那で落ち合い、名物ローメンを食す。その後さらに飯田線を北上し、上諏訪の片倉館で汗を流し、鈍行を乗り継いで帰京した。(終)

*****

 2002年当時に書いた記録を、多少手直しして掲載しました。廃道らしい廃道を訪ねたのはこの時が最初でしたが、その後廃道を歩く機会はありません。今後もないかもしれません。

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
備考
更新休止中
ページビュー