【山】光岳登山顛末記(2013年夏)

 「顛末記」と銘打たねばならない。今回の南アルプス・光岳登山では、二日目に左足首の靭帯を痛めるという大きなアクシデントに見舞われてしまった。今後の自分への戒めとするため、詳しい記録を綴っておく。

・8/18(日)
 仮眠場所の「梨元ていしゃば」で、朝4:00起床。今回初使用のカリマーの70~95ℓザックに、改めてしっかりパッキングを行う。「ていしゃば」で呼んでもらったジャンボタクシーに他の登山客2組(3人)と相乗りして、まだ辺りも薄暗い4:55に、易老渡に向けて出発。

 易老渡への道は、前半は深い谷に沿って抜群の風景が広がる。途中、「下栗の里」の傍を通るが、ここが「天空の里」の名で呼ばれるのもよく分かる素晴らしい景色だ。親切なタクシーの運転手さんの解説に耳を傾けながら進む。後半は落石が頻発する地帯で、今年は特に一箇所、今にも落石が起こりそうな箇所があり、8:30~17:00以外の時間帯は通行禁止となっている(安全講習を受けた地元タクシー会社などは通行可)。車内から道路脇の斜面を見上げると、大きな塊の岩石がごろごろしていて、かつて歩いた佐久間湖東岸廃道とよく似た雰囲気だった。

 6:00過ぎ、易老渡に到着。料金は12,000円少々で、3組で割ると自分の負担は4,100円だった。小さな駐車場には車が十台ほど停まっていて、前泊したと思われる登山者が何組か山に向かっていた。自分も準備運動をして、日焼け止めを塗り、改めて荷物をチェックすると、なんとデジカメがない。さっきのタクシーの車内に忘れてきてしまったのだ。易老渡は携帯の電波も通じず、タクシー会社に連絡を取ることもできないので万事休す。仕方がないと割り切って、易老渡を6:15に出発。天気は文句の付けようのない快晴だ。

 易老渡から赤い小さな橋を渡り、易老岳への登りにかかる。危ない箇所もない単調な登りだが、6年ぶりに背負った20㎏弱のテント泊装備がずっしり肩にのしかかる。この程度の坂、装備が軽ければもっと容易にこなすのに、と思いながら一歩一歩踏みしめるように登る。ようやく11:00に易老岳に到着。ここまで辿り着いてもまだ森林限界を越えず、周囲の風景を見通すことはできないが、森深い南アルプス南部の雰囲気が味わえてこれもまた良い。かなり辛い思いをしながら最後の登りをこなし、名も知らぬ高山植物の花々に癒され、美しい静高平を過ぎ、イザルヶ岳の脇を通って、13:40に光岳小屋着。小屋前から見る深南部の山々は、後々まで強く印象に残るような素晴らしい眺望だった。

 光岳小屋はテントを張るスペースが限られていると聞いていたので、早速小屋でテント泊の受け付けを行う。テント泊料金は400円と良心的。小屋のすぐ前の場所を指定される。テント泊地は小屋周辺に何箇所かあるようだったが、全部合わせてもおそらく20張も難しいくらいではないか。この日に張られたテントは計5張だった。テントに装備の大半を放り込み、光岳とイザルヶ岳の山頂を踏んでくる。光岳は眺望が利かないと聞いていたが、すぐそばに展望台があり、深南部の山々や光石を一望の下に見渡すことができた。

 また、ついでに柴沢方面にほんの少しだけ下ってみたが、道は草で覆われ始め、明らかに歩かれていない様子だった。元々、寸又峡から寸又川左岸林道を延々歩いて光岳に登るのを長い間の目標にしていたのだが、山行を先送りしているうちに左岸林道が崩壊してしまい、徒歩での通行さえ不可能な状態になってしまった。柴沢吊橋からの登山道も、いつまで踏跡が残っているのだろうかと思うと、少し寂しい気がする。
(後日追記:沢屋さんや渓流釣りの人が、稀にこのルートを歩いているらしい。こちらの方が、2011年にここを下っている。また、この動画の25:55~に、2013年時点の柴沢吊橋が映っている)

 テントに戻り、お湯を沸かしてアルファ米の御飯を作る。この日は初めてサタケのマジックライスの「牛飯」を使ったが、なかなか美味しかった。残った湯に粉末の味噌と大量の乾燥わかめを投入し、塩味の効いた味噌汁を堪能する。このほか、干し肉にマヨネーズをたっぷり乗せて齧り、ついでにアーモンド入りチーズを少々食べて夕食終了。まだ周囲は明るかったが、前夜4時間くらいしか寝ていなかったので、18時過ぎにはさっさとシュラフに入って就寝した。

 以下は、スマートフォンで撮影した写真。

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光岳小屋前から見る、深南部の山々。カメラの性能が良くないが、実際はもっと青々としていて美しい。


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光岳山頂。山頂は樹木に覆われているが、すぐそばに眺望が利く場所がある。


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正面から。


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南アルプス名物、団子型の山頂標識。


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真ん中に光石が見える。


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柴沢へ下る尾根。


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柴沢吊橋への分岐。


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柴沢方面へ、本当にほんの少しだけ下ってみたが、道が少しずつ草に覆われ始めていた。


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光岳小屋。真ん中の黄緑色のテントが、6年ぶりに使用した自分のテント(アライのエアライズ2)。


・8/19(月)
 朝3:15起床。途中で目が覚めたのは1回だけだったので、テント泊の夜としてはかなり熟睡した方だ。星を眺めようと思ってテントの外を覗くと、一面のガスで真っ白。がっかりして、お湯を沸かす気力もなくなり、パンと干し肉&マヨネーズ、チーズで簡単に朝食を済ませる。テントを畳み、4:55に光岳小屋を出発。歩き出すと1時間くらいでガスは晴れ、昨日と同じような気持ちのいい快晴が広がってきた。

 易老岳を過ぎ、まずは茶臼岳を目指して稜線を進む。例によって見晴らしは利かないが、すれ違う人も少なく、雰囲気の良い縦走路だ。一応、もう一泊テントを張るだけの食料は持っているが、この日は一気に畑薙まで下山するつもりでいた。6年前に、やはりテント泊装備を担いで、北アルプスの大天井岳から常念岳を経て上高地まで一日で歩いたので、しばらくのテント泊のブランクを差し引いても、稜線歩きと下山であれば畑薙まで十分歩き通せるだろう。バスの時間に間に合わなければ、畑薙にテントを張って、信濃俣河内の吊橋でも見に行こう…。こうした甘い見通しが、あとで実に大きな災難をもたらすことになったのだった。

 8時過ぎ頃だったか。希望峰への登りにかかる手前、深南部の山々が遠く見渡せる、何でもないような平凡な地点。少し急ぎ気味に、細い登山道の右脇の草を踏んで前へ進もうとすると、草の下に土がなく、そのまま右足が斜面を一気に滑り降りてしまう。慌てて態勢を立て直そうとするが、背中の荷物に振り回されて体が言うことをきかない。結果、登山道に残ったままの左足首を、強い勢いで変な方向に曲げてしまった。「パキッ」という乾いた音がしたことを覚えている。

 斜面への滑落はすぐに止まったが、左足首がひどく重い感じで、動かすとかなり強い痛みがある。これはひょっとして骨折したのか、折ったとなると救助を呼ぶほかないのか、自分もついにヘリに乗るのか、などの考えが頭を駆けめぐるが、じっとしているとそれほど痛みはない。どうやら骨折まではしていないのではないか。それならば、骨も折っていないのに救助など呼びたくはない。とにかく、どうにかして自力で下山するほかどうしようもない。重いザックをどうにか登山道まで担ぎ上げ、登山道脇でしばらく休み、足の様子を見ながらこれからのことを考える。

 これからの行程としては、このまま茶臼から畑薙に下山するのが第一案。そして、易老岳まで引き返して易老渡へ下るのが第二案だ。第一案は、途中に茶臼小屋、横窪沢小屋と小屋が二か所もあり、いざとなると救助を頼むことができる。ただし、事故地点から茶臼までの道は歩いたことがなく、また、茶臼から畑薙への下りも、14年前に登ったときには結構急だったような記憶がある。第二案は、途中に小屋が一切なく、何か起きても頼る相手がいないのが不安だが、歩く距離はこちらの方が短く、また何といっても昨日歩いたばかりで勝手が分かっている。迷った結果、第二案を選ぶことにした。

 現場でしばらく休んだが、症状に改善が見られないので、覚悟を決めて易老岳への道を引き返す。基本的に右足だけで前へ進み、左足首は左右に動かすと強い痛みが走るので、とにかく「左足は添えるだけ」という感じで歩く。9:20に易老岳まで辿り着くと微弱ながら携帯の電波が入ったので、タクシー会社に電話する。易老渡への下りはコースタイム約3時間半なので、おそらく2倍ほどの時間を掛ければ下れるだろうと推測し、16時に易老渡への迎えを依頼する。多分相乗りの登山者はなく、料金は全額自分持ちになるだろうが、この際細かいことは言っていられない。

 易老岳で少し休んだ後、易老渡への下りにかかる。よちよち歩きのように、少しずつ歩みを進める。普段であれば全く気にしないようなほんの小さな段差も、乗り越えるのに大変な苦労をする。足を悪くした高齢者や、障害者の方々の苦労が身に染みてよく分かる。また、少しずつしか進めないので、とにかく目的地が遠く感じる。登りでは全く意識しなかった面平の場所も、途中の開けた場所に出会うたびに「ここが面平か」と期待していたら、一番最後に行きついた平らな場所に「面平」の看板がかかっていて愕然としたものだった。このとき、既に14:50。16:00までの易老渡下山はもはや不可能だが、タクシー会社に電話しようにも電波が通じない。とにかく下山しないとどうしようもないので、痛む足を抱えて黙々と下る。

 投げ出したくなる気持ちを抑え、最後は5分に一回ほど休憩を取りながら、17:20、ようやく易老渡に下山。タクシーはもう待っていないものと思っていたが、易老渡にいた他の登山客たちによると、なんと「17:00に閉鎖されてしまう通行禁止箇所のゲートの鍵を取って、また戻ってくる」と言い残して一旦帰っていったのこと。率直に言って、このときは本当に感動した。到着時間も守れなかった登山者のために、こんな遠い場所までもう一往復してくれようというのだろうか。また、易老渡で翌朝を待つ他の登山客たちからも湿布や塗り薬を頂き、何かと労りの言葉をかけられる。周囲の人たちの親切が、とても痛く、そして何より有難かった。

 18時前、約束通りタクシーが到着。運転手と、易老渡の登山客たちに感謝の言葉を繰り返し、平岡駅に向けて出発。道中、運転手の方から三遠南信地方の話を色々と伺う。運転手さんは途中で車を停め、平岡駅に併設される「龍泉閣」の宿泊の手配までしてくれた。また、途中、易老渡からの林道を単独で歩く若者を追い抜く。運転手さんによると、「行きでもすれ違い、声を掛けたが、返事がなかったのでそのままにした。易老渡からこの林道を歩く人は、知る限りではこの夏二人目だ」とのこと。19:15に平岡駅着。料金は14,000円弱だった。少し多めの金額を渡し、改めて運転手さんに丁重に感謝を述べる。

 その日は食事だけを済ませ、倒れ込むように就寝。翌朝目覚めると足首がひどく腫れていたので、宿の食事処から氷を貰って冷やす。宿の方々にも随分心配してもらった。大きなザックは宿から宅急便で発送し、飯田線と高速バスを乗り継いで帰京。自宅に辿り着くと、すぐに保険証を取り出し、そのまま近所の整形外科へ向かった。診察の結果は、「骨には異常はないが、強い力を加えたことにより左足首の靭帯がちぎれかけている。重傷の一歩手前ぐらいの怪我」とのことだった。

* * * * *

 長文の記事になりましたが、自戒の念を込めて今回の記録を書き残しました。改めて、易老渡からの帰りに関して多大な御親切を賜った遠山タクシーの運転手さん、行きのタクシーの車中に忘れたデジカメをすぐに宅急便で送ってくださった天竜観光タクシーさん、何かと心配してくださった易老渡の登山者のみなさん、龍泉閣のスタッフの方々に、心から御礼申し上げます。事故を起こすのは登山者の恥ですが、怪我のおかげで南信州の温かい人情に触れることができたのは、あえて言えば不幸中の幸運でした。また必ず、この地域を訪ねたく思っています。

 なお、今回の経験を踏まえ、山歩きは当面日帰りハイクのみに専念し、重い荷物を背負う単独行テント泊の登山に改めて挑むのは、十分鍛え直してからにしたいと思います。


テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

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