「STBのすすめ」という本

 真っ当な人生を送っていたら、決して出会うことのないような本がある。このブログでも何度か触れたことがある「STBのすすめ」(STB全国友の会編/どらねこ工房)は、そうした本の好例ではないかと思う。

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 「STB(ステビー)」とは、「station bivouac(ステーション・ビバーク)」の略称であり、「駅寝(えきね)」とも言う。つまり、旅の途上で駅に一泊してしまうことだ。たとえば、山間の無人駅で、木製の長椅子の上で寝袋にくるまって静かな一夜を過ごすことができれば、それはかなり上等な部類のSTBだろう。
 「STBのすすめ」は、そうしたSTBしやすい駅に関する口コミ情報などを幅広く集め、一冊の本にまとめたものだ。1987年の初版発行以来、何度か改訂が繰り返されてきたが、2000年発行の「定本準備号」が最終号となってしまった。この「定本準備号」も、掲載されているのは1987~2000年の古いSTB情報なので、現在ではもう、STBの実用には堪えないと言ってよいだろう。

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 旅行者がSTBをする第一の目的は、もちろん「宿代の出費を浮かす」ことだ。また、登山者たちが、「駅で一夜を明かして、山に向かう早朝始発のバスをつかまえる」ことを目的に、STBを行うこともある。
 しかし、STBの醍醐味はそれだけではない。「STBのすすめ」の中には、こんな言葉が記されている。

「夜明け前の空の色を覚えていますか。一言で言えたら、あなたはモグリだ。東の空は薄オレンジを呈し始めているのに、頭上は群青の濃さで、西に目を転じると、まだ漆黒の中に星が震えていたりする。この微妙な階調は、何度見ても飽きないですね。」

 見知らぬ土地で迎える、新鮮な朝。凛とした空気の爽やかさ。緑の匂い。そして少しずつ周囲が明るくなり、昨夜は見えなかった風景が現れてくる。こうした非日常的な世界の情景が、旅の記憶の中に強い印象を残していくのだ。なぜ旅人たちがSTBに魅了されてきたのか、自分の実体験からもよく分かる気がする。

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 私も30をいくつか超える歳になり、何でも見てやろう、どこにでも行ってやろうという10代後半~20代前半ごろの強い好奇心は、ずいぶん薄らいできてしまった。また、近年では法令遵守の風潮も強くなり、「駅員さんやその土地の住民の好意に甘えて、駅に一夜の宿を借りる」というSTBの行為そのものも、もはや自制しなければならないのだろう。

 ただ、だからといって、この「STBのすすめ」という本の価値がなくなってしまったわけではない。この本には、たくさんの駅寝情報とともに、旅人たちの情感溢れるコメントが、多数収められている。

* * * * *

「1995年2月北海道。闇の中を走るディーゼルカーに乗客は私一人だった。『お客さんどこまで行くの。』『××です。』『あそこの民宿に泊まるの?』『いえ、駅で寝るんです。』『えっ、こんなに寒いのに…』『ええ大丈夫ですよ。』『そうかい、今夜はちょっとシバれるらしいから気をつけてな。』しんと静まりかえった駅に降りると車掌氏は『晩飯の足しにしな。』と、ソーセージとまだ暖かいコーヒーをくれた。
 『しっかり見ておいてやってくれ、この駅を。これが最後の冬だから。』ドアが閉まり赤い尾灯はやがて見えなくなった。
 翌朝、駅をまばゆいほどのダイヤモンドダストが覆っていた。次の冬を迎えられないこの駅を季節がねぎらっているように思えた。今は無き深名線北母子里駅の思い出である。」(Oさん)

「小浜島で聞いた言葉。『島は使い捨てのコンビニエントなものではない。幾度か訪れて飽きてしまう客ではなく、訪れるごとに愛着を強め、第2の故郷のごとく思ってくれる人を島は迎えたい。』沖縄の多島海の旅は、第2の故郷探しの旅かもしれません。名護に、竹富に、石垣に、そして小浜に、人とのつながりができました。もうしばらく旅してみようと思います。」(Yさん)

「東北の旅はあなどれない。春だというのに、降り出した雨が雪へと変わり、気温がぐんぐん下がっていった。こうなると気ままテント寝を愛する僕でもSTBに甘えたくもなる。たどり着いた羽越本線下浜駅、このホーム待合で寝袋にくるまった。狭い室内は僕の体温でじょじょに温まってゆき、しんしんと降り続く窓外の雪を、オシャレだなと楽しむ余裕すら生まれていた。」(Nさん)

「最終列車の赤いテールランプが闇に消えた時の、少しばかりの寂しさ。駅の電気が消えた後の空一面に瞬く星々。木の長いすに横たわった時の温もり。朝、起きた時のちょっとした気怠さ。朝霧の中でこだまする鳥たちの声。そしてお世話になった人達の心の暖かさ。これだから止められない。このプロセスを大事にして続けていきたい。旅を。そしてSTBを。」(Yさん)

* * * * *

 こうした旅人たちの言葉が呼び起こす、旅へのささやかな郷愁。この「STBのすすめ」は、単に駅寝データを収録しただけの本ではない。たくさんの旅人たちの声を集めた、貴重な「旅のバイブル」なのだ。私が旅の世界に触れたのは、本書が発刊された頃よりも少し後の時代だったため、この本を編集された方々に直接お会いしたことはない。それでも、こうした素晴らしい旅の遺産を残した先達には、今でも、小さからぬ敬意の念を抱いている。

テーマ : 旅の思い出
ジャンル : 旅行

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