静岡県道288号大嵐佐久間線 踏破記録 その1

日程:2002年7月27日
行程:JR飯田線中部天竜駅―佐久間ダム―静岡県道288号―夏焼トンネル―大嵐駅=富山村―大嵐駅=小和田駅(泊)
記事:その1 その2 その3 その4


 「山さ行がねが」さんでレポートされていたのを見て、古い記録を引っ張り出してみました。ただし、私の記録は「山さ行がねが」さんのような精緻なものではなく、単なる紀行文に過ぎません。

 静岡県道288号大嵐佐久間線は、三遠南信地域に位置する佐久間湖の左岸に沿って伸びる県道です。昭和30~40年代頃には、湖の対岸を走る長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間線とともに、佐久間の町と「日本一のミニ村」富山村を結ぶ道路として機能していましたが、その後大規模な崩落があり道路は寸断。このあたり一帯が土砂崩れを起こしやすい地形であることもあり、そのまま修復を断念され、現在に至っているとのことです。

 このルートを全行程踏破した記録としては、紙媒体で公表されたものとして「いかもの趣味」さん、栗原岳さんのものがありますが、そのほかにもネット上に2004年3月と2008年9月の踏破記録が現存しており、また、既にネットから削除された記録も数件あります。踏破はしたものの特に公表していない人の存在も考慮すると、この道はそれなりの人数によって歩かれているものと思われます。部分的な訪問記録はさらに多数存在しています。

≪注意≫
 このルートには、過去に熊や野犬の出没情報があり、近年はスズメバチが巣を作っているとの情報もあります。また、随所で崩落が発生しており、通過には非常に危険を伴う箇所が複数あります。さらに、長大なルートでありながら途中にエスケープルートもなく、私が訪問した当時はほぼ全域で携帯電話も圏外で、要するにトラブルが発生しても手の打ちようがありません。文字通り命の危険が伴いますので、安易な訪問はお勧めしません。


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≪訪問記≫
 ちょっとしたきっかけがあり、佐久間湖東岸廃道を歩くことになった。同行者はKさん(仮名)。厳冬期を含め先鋭的な登山を行い、諸外国を自転車で放浪し、また、テント泊装備を担いで夢想の吊橋を渡り、そのまま不動岳に登ったこともある猛者だ。有り体に言えば、私は添え物としてついて行ったに過ぎない。

 2002年7月26日夜。急な話で「ムーンライトながら」の指定を押さえることができなかった私は、シュラフや非常食を詰め込んだザックを背にして、品川駅7番線ホームの人ごみの中で大垣夜行を待っていた。やがて入線してきた列車に乗り込み、ボックス席の窓側を確保して一息ついていると、Kさんから電話。「これから『ながら』で東京駅を出る。豊橋で落ち合おう」。なんでもKさんは、今日になってヤフオクで「ながら」の指定券を入手したのだとか。見事な手際の良さだ。私は大垣夜行の固い座席を背に、窓にもたれてしばしの睡眠を取る。

 朝4時半ごろ豊橋駅着。駅前のローソンで食料を仕入れ、落ち合う場所に決めていた飯田線ホームに向かい、Kさんと合流。しばし旧交を温め、始発が来るまで空いているベンチで仮眠。そして、今日も飯田線始発はホームに滑り込んできた。列車に乗り込み、それぞれ前回会って以来の山の話などしながら、コンビニで買った朝食を取る。少しお腹が膨れたところで、今日の行程に備えて一眠り。程よく眠ったところで7:45中部天竜駅着。今日はここから6駅先の大嵐駅まで歩くのである。

 駅を出て、準備運動やパッキングなどをして、8:00中部天竜駅発。不思議なぐらい静かな土曜の朝の家並を抜け、大きな川を渡り、細い路地を縫って山の方へ歩く。途中の変電所を見て、Kさんが「ここは石原慎太郎の小説に出てきた変電所だ」などと話す。あたりには人っ子ひとりおらず、少しずつ強くなる夏の日差しが集落を照らすだけだ。今日も暑くなりそうだ。

 車の通行量もまばらな車道を歩き、いくつかのトンネルを抜けて、佐久間ダムに近づく。一番ダムに近いトンネルの途中に、「展望台」という古びた標識があり、トンネルが二手に分岐している。「展望台」方向に道を辿ると、いきなりコウモリのお出迎え。構わず進み、「展望台」と名の付く場所に到着。…確かにダムの全景は良く見える。しかし、この寂れようはどうだ。吹きさらしのコンクリートは歳月を経てすっかり傷み、いくつかの横穴からは無造作に雑木が飛び出ている。昭和30年代、佐久間ダムが完成した当初は、「日本最大級のダム」として全国から観光客が押し寄せたものらしいが、今では足を向ける人も少ないのだろう。人間の気配が感じられない、淡白で巨大な人工物。時間の流れを思わずにいられなかった。

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佐久間ダム。


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湖面は静かだった。

 トンネルを抜け、飯田線臨時列車運行時しか走らないバスの停留所や、ダムのほとりに立つ唯一の「静岡県道288号」の標識などをカメラに収めて、いよいよ288号線に足を踏み入れる。しばらく歩くと、右手にコンクリート造りの大きな売店がある。ああ、ここもかつては多くの客を迎えたのだろうが、今では訪れる人もなくひっそりと佇むばかりなのだろう…と思って建物の中をのぞくと、なんと中にはおばちゃんが二人。この売店、営業しているではないか!
 
 さっそく売店の中に入り、アイスや使い捨てカメラを買い求める。アイスを食べながら、不意の来客にこちらも驚いたおばちゃんたちに話を聞くと、現在は長野・愛知・静岡県道1号線も土砂崩れにより通行止めで(このあたりは地盤が緩く、しょっちゅう崩れて通行止めになるらしい)、ここから富山村方面に抜けることはできないとのこと。車の通行量が極端に少ないのはこのためだったのだ。そして288号線については、「何年も前から通行止めで、道は無い」。いや、道はあるのだ。ただ、いくつもの土砂崩れで通行不能になっているだけなのだ。「これからどこ行くの?」と善意で聞いてきてくれるおばちゃんたちに「ええ、まぁ」などと曖昧な言葉を返し、我々はためらいも無く廃道に向かって進む。しかしこの売店、売り上げはあるのだろうか。(注:それから間もなくして閉店し、現在では更地になっているとのこと。)

その2へ続きます。

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ジャンル : 旅行

静岡県道288号大嵐佐久間線 踏破記録 その2

日程:2002年7月27日
行程:JR飯田線中部天竜駅―佐久間ダム―静岡県道288号―夏焼トンネル―大嵐駅=富山村―大嵐駅=小和田駅(泊)
記事:その1 その2 その3 その4


その1からの続き≫
 売店からしばらく進むと、まず一つ目のゲートがある。ゲートの右側に人が通れる小道が設けられていて、そこを通過。しばらくは道もしっかりしていて、車が頻繁に通行している形跡さえ見られる(営林関係だろうか)。左手にどっしりと広がる湖や、道をまたいで流れる小さなせせらぎなどを見ながら、ただひたすら黙々と歩く。

 1~2時間ほど歩いた頃だろうか、湖を広く見渡せるような、かなり大規模に開けた場所に出る。道路の左下の斜面を見ると、切られてまだそれほど経っていないように見える多数の切り株がある。完全に放棄された道かと思っていたら、林業用道路としてはまだまだ現役なのだ。さらに歩みを進めようとすると、どこからかチェーンソーの音が聞こえる。遠くを見ると、一台の軽トラックと、木の側で何か作業をしているおじさんがいる。我々はその横をただ淡々と通り過ぎていく。


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一つ目のゲート。


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道は現役で使用されているように見える。


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濁っているが、とても穏やかな湖面。


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ただ黙々と進む。


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荒れ放題の沢。


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ぽつんと残されたカーブミラー。


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涼やかな流れが道を横切る。


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夏の日差しが照りつける。


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このような小さな土砂崩れが、繰り返し繰り返し、数え切れないほど現れる。


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だんだん雑草の勢いが強くなってくる。

その3へ続きます。

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静岡県道288号大嵐佐久間線 踏破記録 その3

日程:2002年7月27日
行程:JR飯田線中部天竜駅―佐久間ダム―静岡県道288号―夏焼トンネル―大嵐駅=富山村―大嵐駅=小和田駅(泊)
記事:その1 その2 その3 その4


その2からの続き≫
 さらに道を奥へと進む。じきに現れた二つ目の柵を越えると、車の轍は完全に無くなり、道には雑草と低木が生い茂るようになる。また、このあたりから小さな崩落跡がぐっと増え、まったく整備が行われていないことを窺わせる。道の右上の斜面にはたくさんの大きな岩が無造作に転がり、「この辺りは土砂崩れの多い地域だ」という話を実感する。

 大規模な崩落を三点支持で乗り越え、数え切れないほどの小さな土砂崩れ跡を横に見て、蛇などが出てきそうな草むらに足を突っ込んで歩く。この辺り一帯には熊が出たことがあるという話を聞いていたので、ザックには大きな熊鈴も結び付けている。ここは本当に「県道」なのか、という疑問に駆られる。

 しかし行程は苦労ばかりでもなく、道の真ん中よりやや大嵐寄りあたりには、高さ15~20mぐらいの大きな滝もあった。暑い盛りでもあり、登山靴を脱いで小さな滝壺に足を浸すと、びっくりするぐらい水が冷たい。とても長い時間浸かっていられないくらいで、ちょっと意外なほどの水の冷たさだった。

 ささやかな水浴びの後も、ただ崩落跡が随所にあるばかりの曲がりくねった道を、何も考えずひたすら歩く。そして最後の大崩落を越えると、道にはところどころにアスファルト舗装の跡が見え始め、やがて遠くに夏焼の集落が見えてくる。背の高い草をかき分けて歩き、不意に現れたガードレールを乗り越えると、そこはついに廃道区間の終わりであった。

 なお、国土地理院の2万5千分の1地形図を見ると、この県道の途中から分岐し、水窪の町へ至る点線の道が描かれている。その分岐がどこなのかはとうとう分からなかったし、またおそらく、全く利用されることのないこの道は既に自然に還っているのだろう。
 かつて(2002~3年頃)、「Dr. Shin's Website」さんというサイトの掲示板で、小和田駅・大嵐駅周辺の探索についてかなり盛り上がった時期があった。その際に、288号踏破経験者の方が「このルートを歩いてみたい」と発言されていたように記憶しているが、その後実際に歩かれたのだろうか。少し気になるところだ。


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2つ目のゲート。


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いきなり道の雰囲気が変わる。


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最初の大規模な崩落。


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崩落を乗り越えて、反対側から撮影。


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もはや人が通っている痕跡はない。


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どこを歩けというのか。


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2つ目の大きな崩落。土砂の上に低木が生え、この廃道が何年にもわたって放置されていることを窺わせる。


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不意に現れた大きな滝。驚くほど水が冷たかった。


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最後の大崩落を越えた直後に、振り返って撮影。
 一番大きな崩落は、道の終盤近くにあった。「いかもの趣味」さんで言及されている「トラックが埋まるような大崩落」が事実であれば、それはおそらくここしかあり得ないと思われるくらいの大規模な土砂崩れだ。水面まで下りて迂回することも考えたが、結局正面突破した。崩落面を分かりやすく撮影できなかったのが今に至るまで残念だが、正直なところ、その時は無事に乗り越えることで精一杯だった。
 この写真を見ると、道の真ん中に、結構な高さまで生育した木が写っている。この静岡県道288号大嵐佐久間線は、「平成13年に一度、全線にわたって軽トラが通行できる状態にまで復旧された」という噂も一部にあるようだが、平成14年に全線を歩いた立場からすると、ちょっと到底考えられない。「復旧された」というのは、おそらく、林業などのために今も関係者に使用されている佐久間側の一部区間で何らかの整備事業があって、そのことを指して言っている、というあたりが真相ではないだろうか。


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廃道区間の終わり。

その4へ続きます。

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
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静岡県道288号大嵐佐久間線 踏破記録 その4

日程:2002年7月27日
行程:JR飯田線中部天竜駅―佐久間ダム―静岡県道288号―夏焼トンネル―大嵐駅=富山村―大嵐駅=小和田駅(泊)
記事:その1 その2 その3 その4


その3からの続き≫
 しかし、行程はここで終わりではない。大嵐駅に辿り着くまでには、まだ長さ1kmの夏焼トンネルを通らねばならない。しばらく休んだ後、トンネルの中に足を踏み出す。この夏焼トンネルは、かつては飯田線が走っていた鉄道用のトンネルであり、佐久間ダム完成に伴う飯田線付け替えの後は一般の車道として供用されているものだ。道幅は狭く、ようやく車が一台通れるくらいか。また、とにかく距離が長く、「トンネルの入口も出口も見えない暗闇」の中をしばらく歩かなければならない。ただ、間隔は広いながらもちゃんと白電灯が設置されていて、「完全な暗闇」というわけではない。ひんやりと涼しいトンネルの中を15分くらい歩き、続いて現れた小トンネルを抜けて、ついに大嵐駅着。時刻はちょうど16:00だった。幾度かの休憩や道草を含めて、丸々8時間行動していたことになる。

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夏焼トンネル(夏焼集落側)。

 大嵐まで来たので、せっかくだから「日本一のミニ村」富山村を訪ねることにする。駅のそばに停まっていた村営バス(といっても普通のワゴンだ)に乗り込み、5分ほど走って、村で唯一の喫茶「栃の木」の前で降ろしてもらう。土曜日なので開店しているかどうか不安だったが、マスターの穏やかなお兄さんは我々を温かく迎えてくれた。ハヤシライスと、それぞれ飲み物を注文。マスターは「今日はもう御飯がない」とか色々うろたえていらっしゃったが、無事にハヤシライスを持ってきてくれた。

 温かいハヤシライスを頬張りながら、マスター氏の話に耳を傾ける。茨城出身で、就職活動をしていた頃、縁あってこの村で喫茶店の経営を行うようになったこと。経営は最初は1年だけのつもりだったが、いつのまにか在村5~6年になってしまったこと、など…。この温かくて穏やかな雰囲気の村にいれば、滞在が長くなるのもうなずける話だ。マスターの作った冷たいコーヒーは、疲れを癒すかのように体にしみわたり、絶品のハヤシライスは、深い満足とともに我々の胃袋を満たした。

 食事を終え、「栃の木」を出る。去り際に、今日自分たちが中部天竜駅から静岡県道288号を歩いてきたことを伝えると、マスターとたまたま店の前に居合わせた村の兄さんは大層驚いて下さった。なんでも、あの道は「20年前ぐらいまでは普通に通行できて、そのころ車で通った人の話を聞くと、佐久間までは1号線を使うより5分ぐらい早く着けた」のだとか。やがてまた村営バスが来て、マスター達に別れを告げる。(注:なお、マスターはその後、草津のホテルに就職し、現在は別の方が「栃の木」の経営をされているそうである。)

 今度は村営の温泉前で下車。温泉の窓口で入浴料を払い、気持ちよく汗を流す。温泉を出て、外でジュースを飲みながらしばらくぼーっとしていると、突如大量の子供たちが現れる。どうやら山村留学の子供らしい。これだけ自然にも恵まれ、人情も厚い土地だ。滞在するにはうってつけだろう。

 温泉を後にし、大嵐駅に戻る。もう村営バスの運行は終了してしまっていたため、駅まで徒歩30分の道を黙々と歩く。せっかく温泉に入ったのに、また汗だくになってしまうが、まあ仕方の無いことだ。途中、千歳屋さんという村のよろず屋に入る。子供の頃に通った駄菓子屋のような、どこか懐かしい造りの店の中で、いくつかの飲み物を選び、レジで店のおばあさんにお金を払う。おばあさんは今年88歳なのだそうだが、とてもお元気そうだ。村がダム湖に水没する前の話など伺う。ペットボトルや缶飲料を2、3本飲み干しながら話を伺い(とにかく暑かったのだ)、今晩消費する飲み物と食料も買い込み、店の売り上げに貢献して、我々はおばあさんの元を辞した。

 再び歩き始め、夕闇迫るころ大嵐駅に到着。今晩の宿は、秘境駅として名高い隣駅、小和田駅に決めている。昭和11年建築と言われる木造駅舎がいい味を出している小和田駅だが、この平成14年当時、老朽化を理由に、JR東海は年度内の駅舎取り壊しを計画しているとの噂が流れていた。このため、「駅舎がなくなる前に、一度小和田で駅寝をしてみよう」というわけで、今夜の宿を小和田駅に取ることになったのだ(注:秘境駅ブームのお陰か、小和田駅舎は結局現存している)。大嵐駅で荷物のパッキングをし直したりしていると、暗闇の中から20:50発天竜峡行き列車が到着。一駅乗って、小和田駅に降り立った。

 ところが、今夜の小和田の宿泊客は我々だけではなかった。我々と一緒に降り立ったのは、謎の初老の男性二人。あちらも我々の存在に驚いている。二人がホーム上で「待合室がなくなってるよ」「ここで寝ようと思ってたのに」などと話している隙に、我々はさっさと駅舎内の長椅子上にベッドメーキングを行う(注:かつて小和田駅のホームには待合小屋があったが、この当時より7~8年くらい前に撤去されたとのこと)。それにしても、駅舎の一方に戸が無いこともあって、あたりは恐るべき虫の数である。やはり夏の駅寝の宿命、今夜はとてもじゃないが気持ちよく眠れそうにないな、と覚悟を決める。

 一人はホーム上で、そしてもう一人は電話機が載っている棚の上で(よく乗れたもんだ)眠りについた男性二人を横目に、我々も長椅子の特等ベッドで就寝。今夜は、駅の電灯は終夜点灯のようだ。過去にここで駅寝した人々の記録を見ると、電気はPM11:30ごろに消える日もあれば朝まで消えない日もあるようだが、どういう基準になっているのだろうか。慣れない寝床で幾度か目を覚ましながら、朝までしばしのまどろみを楽しむ。

 朝5時過ぎ、目が覚める。窓の外を見ると、少し霧が出て幻想的な雰囲気だ。大嵐方面のトンネルに目をやると、初老の男性二人はもう行動を開始し、門谷・大津峠方面への道を登り始めている。それにしても、彼らは一体何者なのだろうか。少しだけ話をしたKさんによると、彼らは「ハイキングに来たわけじゃないよ」と言いつつも、多くを語ってはくれなかったそうだ。きのこ取りのシーズンでもないし…。ちなみに、このあたりを探検した人の記録によると、門谷・大津峠への道は度重なる土砂崩れ等で寸断されて完全に通行不能となり、そもそも道が行き着く先の門谷集落も廃集落となっているらしい。彼らの目的は何なのか、謎は深まるばかりだ。
(なお、後日、彼らが向かった道を歩いてみました。その時の記録はこちら。)

 この日は、午前中はKさんと別行動を取り、私は田本駅のホームで天竜川の流れを眺めながら朝食。Kさんは小和田で高瀬橋までを往復してきたそうだ。午後は伊那で落ち合い、名物ローメンを食す。その後さらに飯田線を北上し、上諏訪の片倉館で汗を流し、鈍行を乗り継いで帰京した。(終)

*****

 2002年当時に書いた記録を、多少手直しして掲載しました。廃道らしい廃道を訪ねたのはこの時が最初でしたが、その後廃道を歩く機会はありません。今後もないかもしれません。

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